長生治療院 院長のひとり言。

2014年08月

幸福(1)

 日本では10年間で30万人強の自殺者が出ています。イラン・イラク戦争すら8年間で3万人前後といわれています。世界の人々は日本国を内戦状態にあるという人すらあります。なぜこういうことが現実に起こっているのでしょうか?日本人は幸福なんでしょうか?

 私たちは、やっとの思いで、この世に、人間として生まれてきて、健康と繁栄と幸福を願わない人はありません。しかし、「人間とは幸福な存在でしょうか、不幸な存在でしょうか?」と聞かれた時に、躊躇(ちゅうちょ)することなく、「わたしは幸福な存在です」と答えることができる人はめったにありません。どうしてなのでしょう。瞑想して、心を内側に向けて思い出してください。人間は誰でも、おかあさんのおっぱいで生かされてるときは、幸福のエネルギーのかたまりです。なのに私たちはいつの間にか、どこかで、誰かに、相手にとっての都合の良い正義(屁理屈)を刷り込まれてしまっているだけなのです。本当は、私たちは元々穢(けが)れのない神の子・仏の子なのです。慈悲と愛の塊(かたまり)なのです。本人が気づいていないだけなのです。

 さて、当治療院では患者さまの心身が軽くなり、10回ぐらいになりますと、次のような質問をすることがあります。「人間とはいったい幸福な存在でしょうか?不幸な存在でしょうか?また強いものでしょうか?弱いものでしょうか?」大方の答えは「人間は弱いものであり、不幸なものである」というものでした。「幸福とは何か」と聞かれると、ほとんどの人は、お金、社会的な地位名誉、家庭、楽しい仕事、あるいは美味しい食事、流行の洋服・バック、素敵な家などを挙げます。しかし、これらは幸福になるための条件であって、幸福そのものではありません。世の中には、お金や地位といった幸福の条件が全部そろっていても、幸福を感じることができなくて、欲望と煩悩だらけの心の貧しい人が少なくありません。

 幸福とは自分自身が感じるものです。・・・・・・・・・・つづく

 

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2014/08/31 幸福   院長

健康(4)

                   大熊星(北斗七星の話)     

 むかしむかし、この地球に恐ろしい大ひでりがありました。ありとあらゆる川、小川、井戸、なにもかもすっかり乾上がって木も藪(やぶ)も草も枯れてしまい、ひともけだものもかわき、日に日に死んでいきました。     

 ある晩一人の女の子が病気しているお母さんに飲ませる水を探そうと思って、杓(しゃく)を持って家を出ました。どこまで行っても水が見つからないので、女の子はつかれて野原の草の上に横になると、ついうとうと寝入ってしまいました。やがてふと目がさめて杓のえに手をかけた時、女の子はあぶなく水をこぼしそうにしました。杓はきれいな澄んだ水をなみなみとたたえているではありませんか。女の子はよろこんでそれを飲もうとしましたが、お母さんにあげる分が足りなくなると思って、杓を持って家へかけて行きました。ところが、あんまり急いだので、足元に犬がいるのに気がつかないで思わずつまずいた拍子に杓を取り落としました。犬は憐れっぽい声で鳴きました。女の子は急いで杓を拾い上げました。もう水はこぼれてしまったものと思いましたが、どうでしょう。ちゃんと杓の底に吸い付いてもとのままと少しも変りがありません。娘は手のひらに水を少し入れて犬にやりますと、犬はたちまちそれを飲みつくして、さも嬉しそうにはしゃぎました。娘がまた杓に手をかけると、木の杓が銀に変わりました。娘は杓を家へ持って帰ってお母さんにわたしました。するとお母さんは「わたしはどうせ死ぬんだから、いっそお前、自分でお飲み。」といって杓を娘に返しました。その瞬間、銀の杓が金に変わりました。その時娘はもうがまんしきれなくなって杓にくちびるをつけようとすると急に戸口から一人の旅人が入ってきて水を飲ませてくれと頼みました。娘はつばを飲みこみながら、杓を旅人にさしだしました。すると突然、杓の中に大きなダイヤモンドが七つ飛び出して、おまけにきれいな水がどんどんと、勢いよく流れ出ました。

 やがて七つのダイヤモンドは高く高く昇りはじめて、とうとう空に上がってしまうと、そこで大熊座になりました。

訳者のことば                                                                                    これは、古くからロシアの国に伝わっている昔話で、それをトルストイがとりあげて新しくつくったものです。トルストイは世界が生んだ最もすぐれた文豪の一人で、小説だけでなく、宗教、社会、政治、経済、教育その他、あらゆる人類の生活について立派な考えをもって「吾らは何をなすべきか」ということを教えてくれた人です。

 このお話を読んで、尊い自己ぎせいの精神、親切な友愛の精神を、よく味わうことが大切です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おわり

 

 

 

                                                  

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2014/08/15 健康   院長

健康(3)

 「施し」というと、すぐお布施や献金を思い出し、金品がないとできないものと思いがちですが,和顔、和語も金品にまさる施しの一つです。児童や少年少女にはお金があるわけがない。いつもにこやかにして(和顔)いるだけで周囲の人々に好感を与え、安心を与え、家庭・職場に光明をともします。「和語」。即ちやさしい思いやりのことばをつかうだけで相手の気持ちをなごませ、これこそ最上の施しだと思います。また、何もあげるものがなくても施しはできるものと道元禅師はいっておられます。「ほら、見てごらん。きれいな桜の花が咲いているよ。」「今夜すてきな番組があるわよ。」これも施しです。これなら誰にでもできるでしょう。宮沢賢治の詩にも「小欲・多施」の箇所があります。                                                                                            一日に玄米四合ト                                                                              味噌ト少シノ野菜ヲタベ                                                                         ・・・・・・・・・・・・・・                                                                            野原ノ松ノ林ノ陰ノ                                                                           小サナ萱葺(カヤブキ)ノコヤニヰテ                                                                 東ニ病気ノコドモアレバ                                                                        行ッテ看病シテヤリ                                                                           西ニツカレタ母アレバ                                                                         行ッテ稲ノ束ヲ負ヒ                                                                             南ニ死ニサウナ人アレバ                                                                       行ッテコワガラナクテモイイトイヒ                                                                   北ニケンクヮヤソショウガアレバ                                                                   ツマラナイカラヤメロトイヒ

 次に、トルストイ作の「大熊星」という民話を紹介します。訳者である米川正夫さんの言葉を最後に載せておきます。施しを主題にした美しい物語です。大好きな童話です。どうぞ一読のほどをお願いします。・・・・・・・・・・・・・・・・続く       

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2014/08/11 健康   院長

健康(2)

健康十訓を参考にして、現在の自分自身を採点してみたらどうでしょうか。わが家の応接間にはこの表を書いて掲げてあります。来る来客の目に触れるようにし、何点取れるか、その実践度を測ってもらいます。私は60点とか、40点とか笑いながら自己反省をしてくれます。なかなか100点をとれる人には会えません。                                                         「小欲  多施」は先の十訓の最後をかざる言葉ですが、人々が案外見過ごしがちの健康にとっての一番大切な生活の秘訣であります。欲望は人間が生きるための本能であり、食欲・性欲・睡眠等、これらを欠いたときには生命が危険に瀕します。食欲がない、夜眠れないことが続けば病気になりますし、性欲がなくなれば人類は滅びます。しかし、「過ぎたれば及ばざる如し」で、百薬の長といわれるお酒でも量が過ぎれば害になり、食でも「腹八分目」が適切です。金銭についても卑しくならぬ様に、昔から古銭(穴あき銭)にも「吾唯足るを知る」と刻まれています。以上のように「欲をかく」ことで身体や心をそこなうことが多々あることを知ってもらいたいのです。住居でも最少限「起きて半畳、寝て一畳」あれば、事足りると思うことが小慾です。「仕事のし過ぎ」も限りある身体をそこないますし、これはスポーツマンにも通じます。よく「無病息災」でありますようにと神社、仏閣にお参りする人があります。尊い心がけでありますが、普段、いいかげんな不養生の生活をし、なまけて不運になって「どうか神様お願いいたします」では、こまります。私たちは、いつも神仏によって十二分に守られている身であり、既に「神の子、仏の子」であることに気が付いたなら、この大自然の理法にそむかないよう、もし損じたら反省し、おわびすることから出発しなければ、祈願になりません。何から何まで神仏に頼ろう、すがろうとする、これも人が知らず知らずに犯している欲念です。・・・・・・・・・・・・続く

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2014/08/07 健康   院長

健康

健康ということは、文字を見れば直ぐわかります。「からだが健<すこ>やかで心の康<やすら>なこと」であります。宮沢賢治はそのお手本となるような生活を「雨ニモ負ケズ」の詩の冒頭にこううたっています。                                                    雨ニモ負ケズ                                                                                    風ニモ負ケズ                                                                                    雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ                                                                            丈夫ナカラダヲモチ                                                                                   欲ハナク                                                                                        決シテ怒らず                                                                                     イツモシズカニ笑ッテイル                                                                             次に、横井也有の「健康十訓」を紹介します。彼は江戸時代の文人で、今から百数十年以上前、まだ科学の発達していない頃に記したものが、現代にも通じるのですから、どえらい人だと思います。                                                           健康十訓 《小肉 多菜》  《小塩 多酢》  《小糖 多果》  《小食 多齟(かむ)》  《小衣 多浴》  《小煩 多眠》  《小忿 多笑》  《小言 多行》  《小車 多歩》  《小慾 多施》                                                                    多浴というのは風呂につかることではなく、日光浴すること。小忿の忿は、忿怒(ふんぬ)の忿でいかること。小車とは駕籠(かご)に乗らぬことで今なら自動車に変わっただけで、歩くことを奨励している点では今も昔も同じであります。・・・・・・・・To be continued in our next number

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2014/08/04 健康   院長
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