許す(3)
ならば、なおさら許すという気持ちを
もたなければいけません
何もためらうことはありません
もう許してあげなさい
大切なことは「人を生かす」ことです
「許し」が人を生かす一歩となるのです
もう許してあげなさい
貴方の残された日々を
輝けるものにするために
長生治療院
ならば、なおさら許すという気持ちを
もたなければいけません
何もためらうことはありません
もう許してあげなさい
大切なことは「人を生かす」ことです
「許し」が人を生かす一歩となるのです
もう許してあげなさい
貴方の残された日々を
輝けるものにするために
長生治療院
「もう許してあげなさい」
あなたが今許すことができない相手も,
そう遠くない日
この世から姿を消していくのです
貴方が許せないという執着を持ち続けるならば
それはあなたの心に
曇りをつくり続けてしまうことになるのです
「許す」というのは、一念三千の心の世界の事です
つまりあなたの心の針の向きを変えさえすれば
「許す」とつぶやけるのです
人間がこの世に生まれることの目的の一つは
魂の修行なのです
次回へ続く
~~~貴方の不安と不満はどこから来ていますか?一緒に探しましょう!~~~
4 くよくよと悩まなければよかった
人間なので、悩みがあるのはしょうがないことです。私にもたくさんの悩みがあります。ですが、それをいつまでもくよくよと悩み、行動に移さず時間を無駄にするのは、非常にもったいないことです。新しいことに挑戦してうまくいかなかったと時も、「なぜ、うまくいかなかったんだ?」「どうしてうまくいかなかったんだ?」などと原因追求に多くの時間をかけるのではなく、「どうしたら次はうまくいくだろう?」と実際に現実世界を変えるための建設的魔解決策を出す問いかけをしてください。時間は命です。くよくよウジウジ悩むのは自分の命をゴミ箱に投げ捨てているのと同じことです。
5 家族ともっと時間を過ごせばよかった。
これは本当に大切です。自分にとって身近な人、家族を大切にできない人が、仲間やお客さんを大切にできません。これもまたとても不思議なのですが、家族も大切にし、その時間も大事にするようにすると、ビジネスもとてもうまくいくようになります。あなたの家族を大切にしてください。亡くなってからでは、親孝行はできません。
6 もっと優しい言葉をかけてあげればよかった
あなたが過去にかけられた優しい言葉は、他人も同じように嬉しいと思う言葉である可能性が高いです。どんなにムカつくような人や受け入れられないような人であっても、その人の家族から見たら、夫であり妻であり娘や息子であり、大切なかけがいのない家族です。もしあなたの近くに他人を非難や否定し、嫉妬するような言動をとっているような人がいたら、仲良くなりたいとか近ずきたいとか思うでしょうか?もっと人に優しい言葉をかけてあげましょう。
7 あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった。
どうしても不安になることはあると思います。もちろん私にだってあります。ですが人が抱く不安や恐怖は、ほとんどと言っていいほど現実世界には具現化しません。お化けと一緒です。不安になっているだけ時間の無駄です。不安になるのは、自分ができると思ったことを全部やり切ったら、そこで初めて不安になってください。
8 もっと時間があれば
老いて死に目に付した時に、これを思ってももう手遅れです。時間は皆1日24時間平等に与えられています。効果的に、自分の魂を進化向上するために、あなたの時間を、今から使っていきましょう。-----次回へ
アメリカでの、80歳以上の老人のデータを紹介します。ユーチュブよりの転用です。(ひろみ)
「人生で最も後悔していること」は何ですか?70%の方が同じ回答をしています。
~人が人生を終える時に後悔する20の項目~
1 他人がどう思うか気にしなければ良かった 私たちは人からの目、評価を気にしてしまいます。然し、それに重きを置けば置くほど自分が本当に求めているものが見えなくなり、他人の意見、意志によって人生が決められてしまいます。他人の事を気にすれば気にするほど、自分が取れる行動の幅はどんどんと狭くなり、自分の首が締め付けられていきます。ぶっちゃけ他人の目なんて気にしなくていいんです。大事なのは、『君が』どうしたいか!『あなたが』何をしたいのか!『彼女が』どんな人生を生きたいのか!です。それだけにフォーカスして生きていれば必ず人生は好転します。
2 幸せをもっとかみしめて生きるべきだった あなたにとっての幸せとは何ですか?まず、あなたにとっての幸せの『定義』を明確化するとよいと思います。そしてもし現在幸せを感じる事ができていないのであれば、幸せを感じるハードルを下げてください。私は常に様々な面で上を目指しそれを求めていますが、それと同時に、幸せを感じるハードルも下げています。命があるだけで幸せ、食べるものがあって幸せ、着るものがあって幸せ、住む場所があって幸せ、家族がいるだけで幸せ、目が見えるだけで幸せetc...すでに努力せずに手に入れてるものがたくさんあります。すでにあなたはたくさんの幸せを得ている可能性が高いです。そしてそうして、自分が満たされていけばいくほど、それが内側からにじみ出て、多くの人を引き付ける魅力やオーラ、影響力になります。あなたにとっての幸せとは何ですか?
3 もっと他人のために尽くせばよっかった 自分の事だけを考えているとどんどんとカルマは下がり、心はすさんでいきます。まず自分が他人のために尽くすこと、提供することで、自分の魂はどんどん向上し、求めているものは自然と入ってきます。ビジネスでも人間関係でも同じです。「この人のために何が提供できるだろうか?」このような問いかけをする習慣を持つと驚くほど人生すべてが豊かになります。鉱物、植物、動物、エネルギーはみんな魂の応援団です。----次回へ
幸福とは不幸でないことです。そして、不幸とは病、貧乏、煩悶(はんもん)のことです。だから、この3大不幸から解放されると誰でも簡単に幸福になれます。中世のある哲学者も人生の3大不幸として、病と貧乏と煩悶を挙げたといいます。それ以後のほとんどの哲学者も、この考えかたを支持してます。病に負けず、悩み事があっても、その悩みをバネとして人生に生きる意義を見出すことができ、貧乏を少しも苦にしない人は幸福です。そこまでいかなくても、身体が健康で、あまり悩むことがなく、ある程度の生活ができるだけのお金があれば、その人は幸せであると言えるでしょう。
幸せになるためには、まず心を強くし、強くなった心を、うまく使いこなすことが大事です。と同時に、心ばかりでなく身体の活かし方、使い方についても、自然の理にかなったやり方が大事です。これから少しずつ述べていきますが、正しい方法で実行すれば、人間が生きるために宇宙から与えられた力を、豊富に取り入れることができます。そして、病、貧乏、煩悶の三大不幸から解放され、幸せな人生を実現することができるのです。誰でも長生きをしたいと願わない人はありません。若いうちはともかく、年を取るにしたがって、何とか長生きをしたいと考えるようになります。これは人間の本性です。どんなに優れた才能を持っていても、短命ゆえにその才能を生かせなかったとしたら、本当に幸せな人生であったとは言えないでしょう。ただ長生きしたというだけで病弱のうちに一生を過ごしたり、何らなすところもなく漠然と生涯を送ったり、煩悶や貧乏に苦しむ生涯であったりすれば、せっかく人間として生まれた生きがいがありません。年をとってから痴呆や寝たきりの状態で、周りの人々に介護をしてもらいながら人生の最後を迎えるのは、あまり、幸せな人生とは言い難いでしょう。最後まで心も体も強健でなくては、幸福な人生であったとは言えないのです。人間は一人で生きることはできず、社会の中で人々とともに生活しています。そして、人生には社会の中でなすべき多くの事業や仕事が一人一人に振り当てられています。それを完全に成し遂げ、社会的にも有用な幅の広い生き方をしてこそ、生きがいのある人生であったと言えるのではないでしょうか。どこで生まれ、どこで死んだか、何をしたかわからないような一生であっては、個人的にも、また、社会的にも価値のある人生であったとはとは申せません。人生は味わえば味わうほど、深い内容と価値を持っています。仕事や事業ばかりではなく、スポーツや趣味の生活においても、深く掘り下げ、心から楽しんでこそ幸せな人生といえます。長さと強さだけでなく、広さと強さが備わってこそ、幸福な生きがいのある人生といえましょう。
このように、病・貧乏・煩悶という不幸の原因となりやすいものと縁を切り、長さ・強さ・広さ・深さを兼ね備えた人生を実現してこそ、生きがいのある幸福な人生を送ることができます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり…詳細は今後になります・・・・・・・・・
幸福とは自分自身が感じるものです。たとえ幸福の条件がそろっていても、心で幸福を感じない人は幸福でありません。反対に、幸福の条件がそろっていなくても、幸福を感じられる人は幸福なのです。メーテルリンクの有名な童話「青い鳥」では、チルチルとミチルが青い鳥(幸福)を求めて世界を巡ります。しかし、世界中のどこを探しても見つからなかった青い鳥は、結局、わが家に帰って見つけることができました。幸福とは主観的で、自分自身で感じるものです。たとえ傍から見て不幸な環境にある人であっても、当の本人に不平不満がなく、心から満足を感じている場合には、その人は幸福といえるでしょう。心が消極的で、何事に対しても、いつも不平不満ばかり口にする人間は、幸福を感じることはありません。その逆に、心が積極的で、いつも感謝と歓喜の感情を持ちながら暮らしている人は、幸福をしみじみと感じることができるものなのです。私たちが幸福になるためには、「お金」や「モノ」といった外的な条件を整えるとともに、「幸福を感じる」心の内的な条件を整える必要があります。
それでは、外的条件と内的条件とでは、どちらを先に整えるべきでしょうか。実を言いますと、まずは内的条件の整備が先決なのです。外的条件を一つずつ整えようと頑張るのも心です。目標を立て、計画し、それを実行するのも心です。そして、幸福を感じるのも心です。即ち、心が幸福を作ります。ですから、不平不満のない、満ち足りた幸福を手に入れ朗とするならば、まずは自分の心の問題の解決に取り組まなければなりません。・・・・・・・・・・・・・次回へ
日本では10年間で30万人強の自殺者が出ています。イラン・イラク戦争すら8年間で3万人前後といわれています。世界の人々は日本国を内戦状態にあるという人すらあります。なぜこういうことが現実に起こっているのでしょうか?日本人は幸福なんでしょうか?
私たちは、やっとの思いで、この世に、人間として生まれてきて、健康と繁栄と幸福を願わない人はありません。しかし、「人間とは幸福な存在でしょうか、不幸な存在でしょうか?」と聞かれた時に、躊躇(ちゅうちょ)することなく、「わたしは幸福な存在です」と答えることができる人はめったにありません。どうしてなのでしょう。瞑想して、心を内側に向けて思い出してください。人間は誰でも、おかあさんのおっぱいで生かされてるときは、幸福のエネルギーのかたまりです。なのに私たちはいつの間にか、どこかで、誰かに、相手にとっての都合の良い正義(屁理屈)を刷り込まれてしまっているだけなのです。本当は、私たちは元々穢(けが)れのない神の子・仏の子なのです。慈悲と愛の塊(かたまり)なのです。本人が気づいていないだけなのです。
さて、当治療院では患者さまの心身が軽くなり、10回ぐらいになりますと、次のような質問をすることがあります。「人間とはいったい幸福な存在でしょうか?不幸な存在でしょうか?また強いものでしょうか?弱いものでしょうか?」大方の答えは「人間は弱いものであり、不幸なものである」というものでした。「幸福とは何か」と聞かれると、ほとんどの人は、お金、社会的な地位名誉、家庭、楽しい仕事、あるいは美味しい食事、流行の洋服・バック、素敵な家などを挙げます。しかし、これらは幸福になるための条件であって、幸福そのものではありません。世の中には、お金や地位といった幸福の条件が全部そろっていても、幸福を感じることができなくて、欲望と煩悩だらけの心の貧しい人が少なくありません。
幸福とは自分自身が感じるものです。・・・・・・・・・・つづく